がんになるわけないと思っていたのに2つも見つかったricoの日記

がん告知(ステージⅠ)を受けて生活が一変しました。毎日の思いを記録します。

骨折しました

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暑い日はこれ!!!
もう少ししたら涼しくなるから最後かな???
って
言いながら
何度目の最後だよ!!!
 
 
今日は
整形外科へ
病院に着いたのが9時半ごろだったのですが
駐車場がいっぱいで停められず
本屋さんへ
家のアイデアになりそうな本を買ってきました。
 
さて
仕切り直し
病院に一番近い場所に停められました。
 
 
前置き長すぎ~~~!!!
 
あの
あの
乳がんしてます。
適応障害でした。
家出中です。
やっと
やっと
ダディとの生活にも慣れてきて
幸せ~~~(^_-)-☆
って思っていたのに
のに
のに・・・
 
左足小指を骨折しました_| ̄|○
ガックシ・・・
 
テーブルの脚に思いっきりぶつけて
足の小指だけ持っていかれたのです。
 
みるみるうちに腫れてきて
夕べは痛さで眠れませんでした。
 
って
落ち着いてるのは
何度も同じ場所を骨折しているからなのです。
はい,何度もです!!!
簡易的なギブスで固定され
「安静にしていてください」
という
先生の優しい言葉に
 
午後から夕方まで
お昼寝していました。
 
骨折 骨をただす
足のケガ ストップ
の意味があるようです。
 
はい,ちょっと体の調子がよくなったので
調子に乗ってました。
明日は
ホントになんにもしないでゆっくりします。

86歳の手習い

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昨日,「バイエルから習いたい」
と言った父にバイエルを買ってきましたよ。
すぐやる課です。
 
ピアノの周りを掃除して
さっそく弾くことになりました。
 
楽譜を見せると・・・
ドレミ・・・
音符,読めるし~~~!!!( ゚Д゚)
 
少し練習をすると
正しく弾けます。
 
さっそく
弾けた曲に花まるを付けました。
 
そして,
父が歌えそうな曲を私が伴奏すると
思いっきり声を出して歌っていました。
 
また,
父も知っている曲を
探り弾きしていました。
やるじゃん,パパリン!!!
 
自分でどこまでやるのか決めて
練習をして
ときどき
私がみてあげることになりました。
 
「一日おさぼりをすると取り返すのに三日かかりますよ」
とか
訳のわからないことを言って帰ってきました。
 
家の周りを掃き掃除したり
草刈りをしたり
身体を動かすことはしています。
リハビリ施設で
認知症予防の活動もしていますが,
日頃,取り組むことがあると
ずっと寝ていることもなくなると
母は喜んでいます。

お彼岸

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朝、6時半出発。
お墓に着きました。
 
こんなに早い時間なのに、
お墓参りに来る方はいるのですね。
ここは、とても沢山のお墓があるので、
混雑します。
いつもその混雑を避けるために、
朝早く来ることにしています。
 
車の中は、父と二人の時間。
童謡を流して
イントロ当てクイズ。
そして,二人で合唱します。
わたしがアルトパートを歌うと
父もご機嫌です。
八十の手習いでピアノを弾きたいそうです。
子ども用のバイエルを勧めました。
父は、酔うと
月の砂漠をピアノで弾き語りをしていましたが、あれは、
適当に弾いていたことがわかりました♪( ´▽`)

ええっ???いいの???

父の所有するログハウスを手入れして
昼間の居場所にしようと思っていました。
しかし
あっけなく却下されました。
そのうち病気になったことで
そんな計画は忘れていたのでした。

で,
あこがれの先生とお会いすることができて
心理数秘講座を受けたのです。
これがとても面白くて
家族や友人の数秘をだして納得していました。

いろいろお話をしている流れから
心理学セミナーを受けることになりました。
私,散々心理学を勉強してきたのですが・・・
大学でも
その後も・・・
適応障害になったときも・・・
その前にお金のセミナーを受けることになりました。
 
心の中では
私がお金のセミナーを受ける必要があるの???
ってつぶやきながら
(先生,ごめんなさいっ!!!)
 
で,受けたんです!!!


 
でね。
ブロックはすべてクリアになったよ!!!
って言いたいけど
生まれたての子馬のように
よろよろ,よたよたしているかな(笑)

でも,
現実は凄いスピードで動きました。

業者さんとログハウスでお話をしたところ
もう,周りの材木もかなり痛んでいるし
修復が不能のところもあることがわかりました。
なにしろ素人が建てたものなので,
不備が沢山あります。

そして,少し前までの住人の方の
置き土産がいろいろあること
庭の木を切ったりすることをすべてやると
百万円以上のお金がかかることがわかりました。

業者さんは父の昔からのお知り合いで
とても親切で的確にお仕事をしてくださる方です。
「これを直すのでなく,壊して新しいものを建てたほうが・・・」
とおっしゃいました。
手軽に建てられるものもあるようで
それも考えにいれることにしました。
 
実家に行き
その状況を伝えると
母は
「ログハウスを壊してもらって,新しく建てなさい」
だそうです。
ひょえ~~~です!!!
 
あんなに
わけのわからないことをされては困ると言っていたのに
父も母も新しく立て直すことに即座に賛成してくれました。
こっちがビビりまくりです。
「今まで散々大変な思いをして仕事をしてきたのだから,
 これからは,自分の好きなことをしなさい」
だそうです。
まぁ,お仕事は楽しかったけどね!!!
 
 ※これは,自分自身がブロックをはずしたことにより
  現実が動いたわけです。

お金のことは
何とかなる
うまくいく気しかしない
と思っています。
 
もう,ワクワクして
今日は,キッチンのカタログを貰ってきました。

東国三社参り

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友人と三人で東国三社参りをしました。
鹿島神宮、息栖神社、香取神宮の三ヶ所を巡りました。
もう、出会った瞬間から、
しゃべり倒してました。
次から次へと
話題には、
事欠きません。
三ヶ所周り終わった後、

遅いお昼をいただき

集合場所へ帰ってきました。


まだ、おしゃべりがしたくて、
スタバでお茶をして
やっと帰ってきました。
「あ〜、楽しかった」と言ってもらえて
ホントに良かったです。
わたしも楽しかった❣️

 

鹿島神宮

とても大切なメッセージをいただきました。

わたしもうっかり忘れているような

大事なことでした。

これを心にとどめて

日々を過ごしていきます。

 

今日は

ヘトヘトなので
とってもびっくりした嬉しい出来事は
明日,報告します。

適応障害だったこと

乳がんステージⅠ
手術、抗がん剤治療、放射線治療を経て
今は、抗ホルモン治療中のRicoです。
元気です。
「がんしてます」と言うと
「そう見えない」と言われます。
 
わたしは
適応障害だったことを隠すつもりはありません。
ただ
日本の社会は
メンタル関係の病気に対する偏見があり
カウンセリングを受けることも気軽にできません。
わたしの場合は
家に帰れなかった
母親の言動が怖かったということで
仕事は通常通りできました。
家に帰れないので
アパートを借りて一人暮らしをしました。
 
もう,
一人暮らし
最高です!!!
 
ホント
ゆるゆるしていても
誰の目も気にしなくていいし
食べたいものを食べて
寝たいときに寝て・・・
天国ですよ。
 
今は,
実家にも行けるし
母親がわがままなことを言ったら
全力でそれに応えるなんでことはせず
「無理です!!!」
って
平気で言えるようになりました。
母親もだいぶ変わってきて
「○○食べる?」
って聞いてくれたり
帰るときになにかを持たせてくれるようになりました。
 
メンタルが落ちているときは
悲しかったり
空しかったりしていましたが
今は
忘れてしまいました!!!
通り過ぎると忘れちゃうんですね・・・
 
だから
大丈夫です。
頑張って乗り越えなくても
そのうち
なんとかなって
そのうち
忘れます(笑)
わたしのように笑えます。

適応障害だった私

乳がんステージⅠ
手術、抗がん剤治療、放射線治療を経て
今は、抗ホルモン治療中です。
抗がん剤治療の副作用は
指先のしびれ,爪の変色,爪の筋などがあります。
放射線治療の副作用は,左腕から指にかけての浮腫みがあります。
 
 
わたしは,以前から,
母親との関係に悩み、
なんでこんなに虚しいのか
心の中に
重たいものを抱えているのか
わからず,
それが日増しに辛くなってきました。
個人で経営しているカウンセラーを探し当て
カウンセリングを受けることにしました。
 
退行療法を受けて
原因となる
父親と母親の喧嘩の場面に行ったのですが、
その時、未熟なカウンセラーにより
悪意ある刷り込みをされました。
(これは,後でリーディングによりわかったことです)
 
 
仕事には、行けて、
バリバリ働いていました。
でも、家には帰れなかったのです。
母が憎い,そのうち怖くて仕方がなくなりました。
台所にも行けません。
お風呂も湯船には入れず,シャワーだけ
洗濯ものも別でないとだめでした。
みんなと一緒にご飯も食べられません。
仕事の無い時は
ホテルを泊まり歩いていました。
 
様子がおかしいと気づいた主治医が
メンタルクリニックを紹介してくれました。
そこで
適応障害であることがわかり,
カウンセリングを受けました。
認知行動療法EMDRも試しました。
 
主治医の先生もカウンセラーの先生も
とてもよい方でしたが、
教育関係の仕事をしていたこともあり
人に知られたくないと
お休みの日にこそこそ通っていました。
 
ある日
知り合いの方にばったり出会い
何をしているのか聞かれました。
すっかり怖くなって
通院をやめることを考えました。
そして、カウンセラーの先生にお話して、
担当医の先生も認めて下さり、
通院を卒業しました。
※これは、誰にでも当てはまる方法ではありません。わたしはそうしたかったというだけです。勝手にお薬をやめたり、通院をしないなどしないでください。
 
いろいろな治療を受けながら,
「わたしを治せるのはわたし」
そう強く思ったのです。
外側からのアプローチがきっかけにはなりますが,
あくまでも治したい,
良くなっていきたいという強い気持ちをもつのは自分です。
 
その後、
家を出てアパートに住みました。
母親は、
「出て行けるものなら、出て行ってみろ」と
暴言を吐きました。
 
でも、
そんな脅しの言葉は、
通用する訳がありません。
 
家族4人で住めるように
広めのお部屋を借りたのですが、
結局、一人で住みました。
 
なんで
こんなに淋しい思いをしなきゃならないの?
って考えていました。
 
それでもそのうち
わたしのために一人になる時間をくれて
ありがとう
って思うようになりました。
 
それからは,
心を癒すようなことを
いろいろ試しました。
 
その中に
ゼニスオメガヒーリング
ACSソウルリーディング
などがあります。
 
そういうものを受けながら
わたしは本来のわたしを
少しずつ
少しずつ
取り戻していったのです。