がんになるわけないと思っていたのに2つも見つかったricoの日記

がん告知(ステージⅠ)を受けて生活が一変しました。毎日の思いを記録します。

母親との確執

母親との確執を抱えて暗い闇の中にいた私。

親子関係に辛い思いのある方は,スルーしてください。

 

 

小さい頃から長女として妹達の面倒をみて

片づけが苦手な母の代わりに家の中を整え,

喧嘩の多かった両親の間を取り持ち

母親を慰め,

母の望みをつねに叶えていく娘を続けていくのに

疲れて果ててしまったのでした。

結婚も親の選んだ人と家を継ぐためのものでした。

家業としてというより,

何百年という長い歴史のある家だからだそうです。

(配偶者は優しく,子どもをとてもかわいがってくれているので 幸せです。)

わがままな母の要求をいつも叶えてきました。

 

でも次第に生きづらさを感じるようになりました。

母親との確執をなんとかしたいと,

苦しんでいた私は,あるカウンセリングルームで

退行療法を受けました。

そのときのカウンセラーが未熟で

ほんの少しの意識の刷り込みをされました。

(これはあとからわかったことでした。)

 

症状がよくなるどころか

母親と話をすることもできなくなり

母親が怖くて家にも帰れなくなりました。

洗濯も一緒にできない。

お風呂にも入れない。

ご飯の支度をしていると手が震える。

 

私の様子がおかしいと気づいた主治医が

病院を紹介してくれました。

そこで適応障害と病名がつき

このままでは鬱になると

自分の判断で家をでました。

 

当然,配偶者と息子達も一緒にでてくれると思い

少し広めのアパートを借りたのですが,

結局家をでたのは私だけでした。

 

それぞれ仕事や学業があり,

住まいを変えるという選択肢がなかっただけですが,

「あぁ,私の味方はいないんだ」

と思いました。

孤独を感じる毎日でした。

その後,自分の気持ちが落ち着くにしたがって

「一人にしてもらったことでのんびりできてよかった」

と,思えるようになりました。

気ままな一人暮らしが心を自由にしてくれて落ち着いてきたのです。

 

母との確執がなくなったわけではありません。

いろいろな療法も受けました。

そのおかげでだいぶ軽くなってきました。

 

私の母親は若い頃に自分の母親を亡くし,

自分の子供をしっかり育てなくちゃと思っていたこと。

自分はキャリアのある女性になりたかったけれど,

夫(私の父親)から母親(私の祖母)が仕事をしていたので

家にいてほしかったと聞き,それに従ったこと。

自分の子供(私)が仕事をバリバリこなしてくことが

自分のことのように嬉しかったこと。

 

そんなふうに言われたら

そうなんだね。

っていうしかありません。

 

 

 

母親は,厳しい人だったので泣くことを許しませんでした。

「泣いている時間があるなら,先に進め」

って感じで・・・

そのおかげで私は強くなったのですがね。

そして,厳しく躾けていただいたおかげでマナーが身に付き

ありがたかったです。

 

この病気を打ち明けたときも

一緒に泣いてほしかったけど

「早く見つかってよかった。

 切ったら治るでしょ?」

でした。

術後,家に帰ることも考えましたが,

「どの部屋で寝るの?

 客間は使わせられない。」

と言われ,断念しました。

「心配じゃないのかね」と思わず「一人できままにできてよかった・・・」

と思うことにします。