がんになるわけないと思っていたのに2つも見つかったricoの日記

がん告知(ステージⅠ)を受けて生活が一変しました。毎日の思いを記録します。

適応障害だった私

乳がんステージⅠ
手術、抗がん剤治療、放射線治療を経て
今は、抗ホルモン治療中です。
抗がん剤治療の副作用は
指先のしびれ,爪の変色,爪の筋などがあります。
放射線治療の副作用は,左腕から指にかけての浮腫みがあります。
 
 
わたしは,以前から,
母親との関係に悩み、
なんでこんなに虚しいのか
心の中に
重たいものを抱えているのか
わからず,
それが日増しに辛くなってきました。
個人で経営しているカウンセラーを探し当て
カウンセリングを受けることにしました。
 
退行療法を受けて
原因となる
父親と母親の喧嘩の場面に行ったのですが、
その時、未熟なカウンセラーにより
悪意ある刷り込みをされました。
(これは,後でリーディングによりわかったことです)
 
 
仕事には、行けて、
バリバリ働いていました。
でも、家には帰れなかったのです。
母が憎い,そのうち怖くて仕方がなくなりました。
台所にも行けません。
お風呂も湯船には入れず,シャワーだけ
洗濯ものも別でないとだめでした。
みんなと一緒にご飯も食べられません。
仕事の無い時は
ホテルを泊まり歩いていました。
 
様子がおかしいと気づいた主治医が
メンタルクリニックを紹介してくれました。
そこで
適応障害であることがわかり,
カウンセリングを受けました。
認知行動療法EMDRも試しました。
 
主治医の先生もカウンセラーの先生も
とてもよい方でしたが、
教育関係の仕事をしていたこともあり
人に知られたくないと
お休みの日にこそこそ通っていました。
 
ある日
知り合いの方にばったり出会い
何をしているのか聞かれました。
すっかり怖くなって
通院をやめることを考えました。
そして、カウンセラーの先生にお話して、
担当医の先生も認めて下さり、
通院を卒業しました。
※これは、誰にでも当てはまる方法ではありません。わたしはそうしたかったというだけです。勝手にお薬をやめたり、通院をしないなどしないでください。
 
いろいろな治療を受けながら,
「わたしを治せるのはわたし」
そう強く思ったのです。
外側からのアプローチがきっかけにはなりますが,
あくまでも治したい,
良くなっていきたいという強い気持ちをもつのは自分です。
 
その後、
家を出てアパートに住みました。
母親は、
「出て行けるものなら、出て行ってみろ」と
暴言を吐きました。
 
でも、
そんな脅しの言葉は、
通用する訳がありません。
 
家族4人で住めるように
広めのお部屋を借りたのですが、
結局、一人で住みました。
 
なんで
こんなに淋しい思いをしなきゃならないの?
って考えていました。
 
それでもそのうち
わたしのために一人になる時間をくれて
ありがとう
って思うようになりました。
 
それからは,
心を癒すようなことを
いろいろ試しました。
 
その中に
ゼニスオメガヒーリング
ACSソウルリーディング
などがあります。
 
そういうものを受けながら
わたしは本来のわたしを
少しずつ
少しずつ
取り戻していったのです。